「歪み続ける日本政治の風景」第01回 ~プロレス政治は昔から~

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 2020年4月、ついに新型コロナ特措法に基づく「緊急事態宣言」が発せられた。巷では外出自粛に伴う経済損失の補助がないという怨嗟の声が広まっている。そして相変わらずネット世論上において野党側(リベラル側)は「アベガー」のトーン一色で"マスク2枚はいただけない"という主張から"生活が追い込まれてしまう"という悲鳴まで様々である。

 まぁ、こういう世論を見ているとつくづく嫌になっていくのだが、そもそも日本政治の根底に流れる「日本の政治の歪み」について様々な角度から眺めていきたい 。

 「国家の価値は結局、それを構成する個人個人のそれである」19世紀・イギリスの政治哲学者J.S.ミルの言葉である。国民の価値に応じた国家が形成される。簡単に言うとその国民の程度に見合った国家ができあがります、という意味だと私は捉えている。ミルのこの言葉は非常に含蓄のある示唆に富んだメッセージに思えてならない。さて、まずは直近の国政選挙に見られる「歪み」について考察していこう。

 2019年7月に実施された参議院選挙の比例票を見ると

自民党17,711,862票

公明党6,536,336票

維新4,907,844票

合計29,156,042票 (全有権者比27.5%)

 

一方、安倍改憲反対勢力は、若干の議論の余地があるかもしれないが、とりあえず

立民7,917,719票

国民3,481,053票

共産4,483,411票

れいわ2,280,764票

社民1,046,011票

合計19,208,958票(全有権者比18.1%)

 

諸派1,707,166票(全有権者比1.6%)

 

棄権者55,813,898人(全有権者比52.7%)

 

有権者総数105,886,064人(100%)

<出典はいずれも総務省発表の資料> 

 

 選挙結果の細かな分析については他者に譲るとして、総じて言えるのはもし日本の有権者が100人いるとしたら政権与党と改憲賛成に回る政党支持が28人、改憲に躊躇若しくは反対する政党支持が18人、諸派が1名、そもそも棄権している人が53人いるということである。

 ところが議席数は選挙時の得票数に応じた配分になっていないことがわかる。

党派 得票(%)      議席(%)

与党 29,156,042 (27%)  152(61%)

もし100人なら・・ 28人投票→61議席獲得

 

野党 19,208,958(18.1%) 76(30%)               もし100人なら・・ 18人投票→30議席獲得

 

諸派   1,707,166( 1.6%)      20( 8%)                もし100人なら・・2人投票→8議席獲得

 

棄権者 55,813,898人(52.7%)      0(0%)

有権者  105,886,064(100%)  議248(100%)

※パーセントの合計が100%にならないのは按分票を切り捨てたため

 

 この投票結果を見ると野党の得票数を1とした時、与野党の得票数の比率は

野党:与党=1.0 : 1.5であるにも関わらず、与野党議席数の比率は

野党:与党=1.0 : 2.0になる。

 こうした数字を見ると得票数の比率と獲得議席数の比率に相当な「歪み」が出ているのが見て取れる。尚、今回のように集計時の数字に「棄権者」を含めた数字で比率計算をすると「棄権者は選挙に参加していないから度外視するべきだ」という反論をもらう。しかし、そもそも政治は国民全員が参加するものだと思っているし、選挙も同様である。政治に参加する有権者が「投票に行く理由」と同時に同じく政治に参加する有権者が「投票に行かない」理由を考察しなければならないだろう。なぜなら選挙に行かないという行動も政治的意志表明と捉えなければならないからだと思っている。投票率に関しては50%台に向けて下降し出したのは小選挙区制導入と相前後している。例えば田中角栄内閣が成立した1972年12月の衆議院選挙の投票率は大枠で70%台を維持していた。なぜ投票棄権者が50%も出るようになったのか。この状況を作り出した原因のひとつには投票率の推移を見てみれば1994年に衆議院中選挙区制の廃止と小選挙区制の導入(1996年(平成8年)から実施)があると思ってよいだろう。「どうせ投票しても私の支持する政党は勝てっこないからいかない」「どの政党も投票に値しない」という声はよく聴く声である。実際、あるアンケート調査においても投票に行かなかった人のうち政策・公約のパンフレットを読んだ上で投票に行かなかった人は全体の7割を占めているという結果もあるぐらいだ。

 さて、ではこの小選挙区制や政党助成金などの成立前の状況を振り返ってみるが、当時、金丸信氏(自民)の献金問題から「政治改革が是非とも必要だ」とマスコミが煽り立て、その議論がなぜか選挙制度をいじる話にすり替わっていった。一般国民(正確に言えば下級国民)からの声とはかけ離れている議論だったが「金のかからない選挙、政策本位の選挙、政権交代可能な選挙」という喧伝とともに小沢一郎氏や細川護煕氏や社会党の面々まで参加しながら政治改革4法案などと騒ぎたて「小選挙区制」と「政党助成金」などを成立させていった。しかし当時からその内容はポンコツとしかいいようがないものだと私は思ったものだ。例えばカネのかからない選挙と言いながら当時も問題視されていた企業献金の禁止は全くなされなかったし、政策本位の議論とそれに基づいた選挙と言いながら今日でも「カジノ業者から金をもらう」とか「有権者にウチワを配る」とか相変わらずのダメっぷりが全面化しているのをみれば政治改革になど何らなっていないことがよくわかる。この1994年の「政治改革」から26年経った今日、肝心かなめの「政権交代可能な選挙」が行われているだろうか。あれほど煽ったマスコミは「安倍一強の時代」だとか平気で書き散らかしている。

 しかも特筆して置きたいのは、このような茶番的政治改革、とりわけ28%の得票率で全議席の61%の獲得を許し続けている、この選挙制度の成立は自民党だけが奔走したのではなく、当時の連立与党、要するに細川護熙総理大臣を筆頭に現在国民民主党で生息している小沢一郎氏、そして長期低落傾向と呼ばれていた社会党などがむしろ主導的に成立させたのである。それらの党派の欺瞞政治の流れは、自民・公明と手を携えて消費税増税に手を貸した民主党だったり、「安倍改憲ノー」とか「共謀罪反対」を言いながら、通信傍受法改悪や司法取引を可能とする刑訴法改悪に賛成した立憲民主党、若しくは国民民主党で依然として蠢いている議員たちによってしっかりと『プロレス政治』という"発展した"形でそれらを継承している。

 このあたりの歴史については「社会党社民党の罪」「民主党系各党派の罪」「革新の死去」「腐った労組・総評と連合」などというタイトルなどをつけて、あまりに情けない日本の政党政治の醜態を暴露していきたい。

(次号につづく)